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第15話 マーガレットⅠ Amina Ⅳ

←第14話



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マーガレットは中流家庭の生まれの次女。
金に困ることもなく、かといって裕福でもなく音大という進路は取れなかったのでサークルで音楽をやっていた。
ギターを弾いて、そのうち歌うようになって・・・若さ特有の『私はこんなものじゃない』という意思に従い、
何人もの有名な歌手がデビューしている老舗ナイトクラブで歌手として働くことなった。

といってもソロシンガーで使ってもらえるわけはなく集団のコーラスの一員だったがマーガレットは美人の部類に入ったので、
店が客層を選ぶレベルの、その都市でも一、二を争う名店に滑り込めたのだった。

ある夜。

「マーガレット!君、今夜ステージには出なくていい!急いでコート着て!」
「えっ、なんで?!私クビにされるようなことしてない!!」
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18歳のマーガレットは特徴的な赤毛を震わせて声高に叫ぶと副支配人はとんでもない!と焦りながら、

「違う違う!○○が今日風邪だかで休んだろう?
 今夜出張ステージさせる頭数だったもんで代わりのバックコーラスが急ぎで必要なんだ。上乗せかなりするから!」
「えっ、あ、OK!衣装は?!これで平気!?」

駆け出しとはいえ一丁前にプロ意識はあったマーガレットは急かされながらも店が貸してるドレスを身振りで示す。
クラブの格を示すがごとく上等なものだがコーラスらしく悪目立ちはしない。

「黒でちょうどいい。他の連中とも揃うよ。頼んだよ、タクシー裏に付けておいてるから大至急。
 約束は8時半だ。急いで!行き先はこのメモにある。今日は出張終わったら、店に戻らないであがっていいからね」
「わっかりました!」
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「じゃ、これ。他の連中には内緒だからね」

早速ひみつの上乗せ分として、紙幣を輪ゴムで束ねた比較的小さなものを握らされる。
とはいえ学生にはありがたいボーナスだ。
直帰できると聞いたマーガレットは自分の荷物・・・ギターケースとコートを引っつかんで店から飛び出した。




そしてメモが指し示す場所は雰囲気のあるドアマンが居る、その都市いちばんの高級ホテル。
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書いてある部屋の名前はホテルのボールルームだろうか?
メモ差し出してホテルマンに行き先を尋ねるとエレベーターを最上階まで登らされ、
黒いスーツの人間が居てメモを見せる身体検査も受けて入室することになった。

とはいってもマーガレットの勤めてる老舗クラブも十何年か前に、この国の寺院で女王陛下が亡くなったテロの影響か
軽い荷物チェックの上での入場があるので違和感はない。
ただドアの感じからいうとレストランだのの店というよりは・・・会員制クラブ?
いや、それよりも客室といった感じで店内はまだ見えない。

マーガレットがキョロキョロすると『suite』の文字が入ったプレートが目に入った。
成程すごい客室での出張ライブかと気合が入る。もしかしたら今自分はすごいチャンスを前にしてるかもしれない。
だってこのすごい部屋の借り主に気に入られれば、道が開けるのかもしれないのだ。
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店で歌われているナンバーは大体頭に入っているから、
伴奏者とその場で話し合いながら歌えるだろうとマーガレットは腹を括った。
スイートルームのコネクティングルームを抜けると、やはり広い客室が広がっていたがパーティの気配なんて全くない。

「あれ?」
「奥へどうぞ」

さらに奥からの声に導かれて歩き進んでいったマーガレットは、その声の主を見て度肝を抜かれた。

「時間通りだね。私は名乗る必要はあるかな。あなたのお名前は?」

熱心にニュース見ないマーガレットでも相手の名前も顔も立場も十分に知っている。
当時のサウス公爵家当主・・・アレックスの、そして後にダイアナの父親となるジョン・サウスがそこにはいた。
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温かい火のストーブの熱と、バニラの甘さをはらんだ紫煙が彼を取り巻いている。
近年出たばかりだという流行に乗るナイトクラブの客が嗜んでる銘柄だ。

「名乗っていただくなんて滅相もないっ!サウス卿!!わぁーっ      ・・・・あっと、すみません!
 今日のお客様のお名前を存じ上げなくて驚いてしまいました。私はマーガレットと申します」
「よろしく、マーガレット。何か召し上がるかな。難しいものは作れないが飲み物は?」

公爵の手前、マーガレットはちゃんと苗字も名乗ろうとしたのに
彼は芸名だとでも思ったのか話題を切り替えてしまった。

「あっ、えと、わあ・・・お構いなく!!」
「そう。でも飲み物もなしに平然と話せるほど私は女性に達者な方じゃあないんだ。付き合ってもらえるかな」
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彼の柔らかい物腰で巧みに促される。
マーガレットは酒が強くないので恐縮しきりながら「じゃあ、お酒はごくごく薄めで・・・弱いので」と申し出ざるをえない。

「カクテルもどきでも作ってみようか。美味しいといいんだが」

本心ではまるで困ってるように見えないが、ジョンはさて困ったといった風に微笑んで
煙草を手離さずに逆の空いてる手でグラスに直接、氷とジュースやらを量りもせずに注ぎ
マドラーで手際よくかき混ぜたものを作った。

まるで旧来の友人でも招き入れてるかのような距離感にマーガレットは戸惑いながらも興奮する。
自分はこんなVIPに歌手として迎えられてるんだ!
グラスを当てずに乾杯をして微笑む。

「美味しいです!きっと同じウィスキーですよね?きつくないです」
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「それは良かった。君の髪の色に合わせてクランベリージュースでもあれば良かったんだが」
「私オレンジジュース好きですから」

マーガレットは明るく声を出して笑う。
理由は分からないけれど、何やら自分は非常に歓迎されているようだ!幸先がいい。

なんとなく、彼女にはこの状況の想像がついてきた。
副支配人は非常に焦った様子だったから、他の歌手(もっと店の上位の人気ソロ歌手だろう)に渡すはずだったメモを
間違えてマーガレットに寄越してしまったんだろう。
本来なら自分が店に電話でも借りて連絡をして、本来のバックコーラスの仕事につくため引き返すべきかもしれないが・・・
ここまでの大物とのコネクションを結べる機会はそうそうあるもんじゃない!

「店の者からは場所とお時間だけしか伺っていなかったんですが、今夜はどのようなナンバーがよろしいですか?」
「・・・うん?」

そこからマーガレットは、クラブでバックコーラスしているスタンダードナンバーから
少し趣向を変えてカントリーミュージックも歌えると鼻息が荒くなりすぎないようにアピールした。
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「場所はやはりこちらのピアノ付近でよろしいですよね?
 伴奏者がいらっしゃらないなら私、あまり上手ではないのですけれど自分である程度なら弾けます」

もう少し時間が経つとパーティの来客があるのかもしれない。
いや、こういう人はイベントコーディネーターをちゃんと雇ってそうだから尋ねるのは無礼だったろうか。

「すみません。私、1人でべらべらと話しすぎました。今夜の演奏について、ご担当者の方に伺った方がよろしいですよね」
「・・・・・・」

彼は何かを考えてるかのように暫く静かにマーガレットを眺めた後、グラスを置く。
グラスの中の美しい氷ががらんっと回った。

「君は、どんな言いつけでここに来たのかな?」
「え、店の者からはこちらに、この時間に伺えと・・・」
「歌えと?」
「は、い・・・歌手ですから」

肌が縮むような確実な怒りをジョンから受信する。
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「伴奏者と言ったが他の者が来る?来るのは1人だとしか私も聞いてはいないし、そもそも歌うなんて話などないよ。
 君、どうやってここに潜り込んだのかな」
「っ!」

やばっ、なんでだか簡単にバレた!
マーガレットが分かりやすく表情を崩すと彼は大人の余裕か、ため息ひとつで許すこととなった。

「それを飲んだら帰りなさい」
「はい・・・・申し訳ないです・・・・・でも、でも、私、あの。怪しい暗殺者とかじゃないんです・・・本当に・・・」

その言葉に彼はつい笑いを噴き出しそうになったが得意の無表情でそれをしまいこむ。
さらに彼女はちび、ちび、と本当にジョンに言われたとおり杯を飲み干してゆく気らしく、幼いのか肝が太いのかと内心脱力した。
飲んだら帰れ、というのは定型文みたいなもので額面通りに受け取るものじゃないだろう。

「・・・まあ。外の連中が調べたから危険ではないんだろうが、ね」
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正体を見破られたのに、この娘は気まずくないのか。
逆にこちらの間が持たない。

「それで君は今夜どうやってここに?そもそも君は誰かね、マーガレット」
「私今月からあのクラブでバックコーラスやってる駆け出しの歌手なんです。さっき急に出張ライブ行くように言われて・・・
 たぶん、副支配人が他の歌手に渡すはずのメモをくれたんだと思います・・・」
「なるほど。単純なミスだな」

そして蓋を開ければ出てきたのが公爵の自分で、このマーガレットはチャンスに乗っかってやろうとしたわけか。
あっけらかんとしてるわりに度胸があるといえば聞こえはいいが、分際を弁えない娘だ。

・・・それだけ歌手で大成することを夢見てるんだろう。
ジョンが思った瞬間、わずかに胸が焦げるような感覚を覚えた。夢に邁進している若い彼女への嫉妬。
公爵という自分の地位に安易に飛びつこうとした彼女に灸を据えるつもりでと、嫉妬ゆえの意地悪な気持ちも手伝って
ジョンは鼻で笑う。
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「今夜、あの店が寄越すと私に押し付けてくるのは確かに歌手だったが、別に歌ってもらうためじゃあない。
 クラブが売り出したい歌手に『支援者』をつけてやりたいために熱心に今夜のお膳立てしてただけだよ」

「・・・・? えっ?」

「私は『接待される』側だったんでね。来る予定の歌手の名前も知らない、というわけだ。
 まさか、どんな『接待』なのか分からないということはないだろうね」

つまり店は本当は一押しの”女”の歌手を、この都市にやってきている公爵に宛がおうとしていたわけだ。
気に入られれば歌手も店も、公爵も美味しい思いができる。
惨い現実だが劇的な才能でもない限り、ナイトクラブ歌手なんてものは娼婦まがいだというのがジョンの中での現実だ。

「あの店が有名どころを排出してきた老舗だというのもこういうことだよ。どこの都市でもよくよくある。
 君は先月始めたといってたが、そういう娼婦まがいのことをしてゆく覚悟はあるかい?」

チャンスに便乗しようとはしたものの、そんな予想もせずに歌う気満々で乗り込んできたのだ。あるわけがない。

「・・・━━・・・・・・・」
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泣きはしないが、怒っているような、悲しんでいるような・・・・生々しく傷ついた彼女の表情にぎくりとさせられる。
彼女の中で輝いていた薄く弱い何かが割れる音を聞いてしまった気がした。
現実を必要以上に鋭く突きつけたのは自分だ。

「・・・もう帰りなさい。マーガレット」

ジョンが退出を促すつもりで彼女が出て行くべきドアに目をやると、
マーガレットが持ちこんで床に置いたままのギターケースがあって戸惑った。
彼女はギターを弾くのか。
つい無意識にジョンは自分の左手の指先を擦り合わせた。
あんなにも先程まで生き生きと夢に生きていたのに、今はジョンのせいで死にそうな顔のマーガレットがぽつり呟く。

「ああ。あなたも、お弾きになるんですね。アコギですか?」
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表情は大きく崩さないがジョンの目が明らかに動揺した。
確かにこのジョン、若い時分にギターをやっていたが・・・先代当主の父親にふさわしくないと断じられ、取り上げられた。

「どうしてそう思うのかな」
「今、左手・・・指・・・・ 私もよくやるんです。痛むから。クセで」と、
マーガレットも自らを抱きしめながら彼がやったのと同じように指先をすり合せる仕草を見せる。

「大昔の話だよ。もう自分のも捨てた」
「弾きたければどうぞ?」

昔捨てたはずの未練を見透かされたことに動揺が収まらない。
ギターを抱えて歌手の夢に生きている彼女に対して、
年甲斐もない嫉妬のせいで意地の悪い物言いをしたことは既に彼女にも嗅ぎつけられたのかもしれない。
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公爵という地位で政治家でもある彼は装うことは得意になっていたが、
ジョンは彼女にしたことへの自責の念から少し心のままの苦笑を零す。

「フォークギター、なんていう歳でもないだろう。」
「そこらへんでおじいちゃんでもおじさんでもフツーに弾いてますよ?でもやっぱり。フォークギターやってたんですね。
 おじいちゃんにもらった年代物で価値があるものじゃないけど悪くはないギターです」

ジョンの返答を待たずに手馴れた動作でマーガレットはずるりと相棒を取り出した。
さらに彼が受け取らなければ床に落としてしまいそうな軽さで渡そうとしてくるので、ギターは公爵の腕に収まる。
懐かしさのまま、スーツであることも忘れて彼はそのまま握りこむ。

懐かしい。

Cコード、Gコードと、覚えてるだろうかと遠い記憶を探りながら弾くと、昔と同じ音が出た。
続けてD、Em・・・・・確認するかのように一音一音。

「もし、曲が弾きたければ遠慮なく。私はこれ飲んじゃうので」
「・・・・・」
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が、ジョンはそれ以上曲らしいものを奏でず、ずーっとコードを単調に弾いているだけ。
数十秒ほど彼女の空色の瞳がきょとんとして、ずばり呟いた。

「あ。曲は弾けないんだ?ピンポンですか?」
「!!」
「あ、わっ!ごめんなさいっ、ついホントのこと、いや、じゃなくて!うっわ、ごめんなさい!」

公爵サマってこと忘れてた!とばかりにマーガレットは慌てるが、大図星を指されたジョン。
腹の底から恥辱がわきあがる。

そう、若い彼女くらいの歳のころ。
フォークや弾き語りに憧れてギターと初心者用指南本を買ったはいいが独学である上にギター仲間なぞもおらず、
特別な才能があるわけでもなく、あんなにも夢中になったものの結局覚えられたのはたった4種類のコードだけ。
曲なぞ弾けるわけがない!
覚えてしまうまえに取り上げられたギターへの憧れは、そのせいで焼き焦げていたのもあった。

「もういいだろう。返す!」
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「まあまあ!恥ずかしいのは分かりますけど!左手をちょぉっと失っ礼~」

酒の入ったマーガレットは妙ななれなれしさを発揮し、舌をちょっと上唇に出しながら勝手にジョンの指をいじりだす。
これが仕事の相手であれば容赦なく拒むところだが、歳が離れているうえ先程いじめてしまった娘だと躊躇されてしまい、
彼が戸惑ってるうちにマーガレットはぐいぐいとコーチを始める。

「お母さん指はここ~、お兄さんはこっち、おねえさん指はここに置きまーす。はい、弾いてください」
「君」
「弾かないと!音出ませんよ?ほらほら!」

嫌々半分、意地も半分。弾いてみると初めてにしては悪くない(と思われる)音が出せた。

「ギター始めたのは本とかで?独学ですよね?」
「・・・そうだね」
「本で1人でやるより、ヘタでも誰か相手が居たほうが捗るんですよね~。じゃあ次は人差し指で、ここをぜんぶ」
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すると即ジョンは反応して「Fコードはできない」と言い切った。
Fは一番指の押さえ方が難しいと言われているコードで、かつて彼も本の説明にしたがって試しはしたものの結局出来ないまま
ギターと別れた。

「できないからやってるんじゃないですか」

指が壊れそうだ。歯を食いしばりつつ、とりあえず弦を指で弾きはしたものの奏でたとは程遠い。
ほら、もういいだろうと苦々しい気持ちでマーガレットを見ると素晴らしい笑顔で、

「やったっ!できたできた!すごいですよ、Fを押さえたまま音出せただけで!!
 私押さえることすらできなくて2日間はかかりましたもん。どんどんやってみましょう!」

相手を乗せるためじゃなく本気で嬉しそうにしてみせる彼女に、ジョンは三度目の「帰れ」は流石にもう言えない。

そのまま数個のコードを教えてみせると結局数十分ほどが瞬く間に経ち、
ジョンの育ちのよい柔らかだった指先は昔のように簡単に真っ赤になって手の平に冷や汗が滲んでいた。
彼が弱音は吐かなくとも身体は正直で、左手の指が痛みから逃れたがるせいで上手く弦を押さえようとしない。

「あ、もう限界ですね。でも久しぶりの初日で結構な時間連続でやってたんだから、すごいですよ」
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最初こそ嫌々だったのに気付けば年甲斐もなく夢中になってしまったと、ジョンに恥ずかしさが湧き上がる。

「結局、時間を使ってしまったな」
「でも楽しかったですよね~1人でやるときより気分が乗りますよね~」

マーガレットは取り出したときと同じように、てきぱきと相棒のギターをケースにしまう。
黙ったままのジョンにマーガレットは空色の瞳を丸める。

「あれ。楽しくなかったですか?指がそんなになるまで弾いてたらっしゃったのに」
「君はどうして、そう・・・。・・・・無遠慮なのかね」
「真ん中っ子って、このくらい図々しくないと家族で埋もれちゃうんです。そのせいかもしれませんね!」

マーガレットは明るくジョンの指摘を笑い飛ばした。

「でも私は楽しかったです。ちょっと落ち込んだから」
「!」
「・・・・教えてくださって、ありがとうございました。あのクラブは私には合わないみたいだから辞めることにします」
「随分思い切りもいいな、君は」
「売れるために好きでもない人と、・・・”する”、なんて。あたし、出来そうもありませんから。お邪魔しました」
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上流家庭出身でもないというのは雰囲気で分かるが、きちんとした躾を家庭で受けてはきたようだとジョンは考えた。
そうしてマーガレットはその部屋を退出した。






そして翌日。
夜にでもナイトクラブには退職する旨を申し出ようと心にきめていた。
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『実は昨夜はあのサウス公爵に素人のギター教室もどきをした!』と、
大学の友人に軽々しく自慢したい気持ちはあったが自分が訪問させられた理由も理由だったので
何となく言えずじまい。

ジョン・サウスのことを思い出す。

入室した直後の女性を接待するとき用の顔、その後の無表情気味のよそ行きの顔、
表情は動かないながらギターを手にしているときだけみせてた目の輝きを思う。
人懐っこさは皆無だったけれど年齢の差があるわりには不思議と接しやすかった。

30代過ぎてる”オジサン”にしては結構かっこよかったし、ファンになっちゃったかな。
将来、またこの都市に訪問してきたときには大勢の市民に紛れて旗を振りにでもいこうか。

(でも偉い人って窮屈そう。きのう、簡単に弾ける曲ぐらい教えてあげればよかったかな)
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庶民の大学生と、議員でかつ貴族じゃ二度と会うこともないだろう。
まだネットが世間に広がる前夜のころで、気軽にツイッターだのインスタだので一方的なファンコメントをできる相手でもなかった。






しかし、その夜にはマーガレットは真っ青な顔色で再びジョンのもとに現れることになった。
スケジュール通りの訪問なので護衛官も入室を許可したが、
私服のジョン・サウス公爵は不機嫌なため息を隠しもしない。

「何故また来たのかな。・・・昨日の話を分かった上で、気が変わったとでも?」
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マーガレットは蒼白のまま首を細かく振って、すぐに説明を始める。
昨夜の抜けている副支配人ではなく強面の警備員を伴った支配人に正面きって脅されて仕方なく来る羽目になった。
辞めるにしても、昨夜は公爵とどうやら長い時間を共に過ごし”気に入られた”のだから、
クラブの名誉のため彼の滞在の最後まで『ご接待』をやれと。

支配人には借りている家まで知られていているためにトラブルになって家に押しかけられでもしたら
大家を通じてナイトクラブ勤めをしていることが厳しい両親に知られてしまう。
マーガレットは謝罪の言葉を繰り返し、「あなたの滞在中だけやり過ごせば辞めることはできるんです」と縋るしかない。
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相分かった、もう言うなとジョンは手挙げ彼女を言葉を止めさせた。
だからナイトクラブなぞで働くべきじゃないというのだ。
ジョンは「随分と高い代償になったな」と紫煙を冷たく吐き、
彼女も同意とばかりに小さくなってコクコクコクと頷いた。

「事情は分かった。護衛官がいるコネクティングルームで過ごして帰りなさい。飲み物くらいは出すように言っておこう」
「えっあ、あっ・・・あの」
「何かな。私は君と寝るつもりはないよ」
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恥ずかしいが全ての勇気を振り絞って、汗までにじませながらマーガレットは笑顔で、
「すっごく簡単に弾ける曲、私思い出したんです!」と声を震わせながら己のギターケースを差し出す。
虚を突かれたジョンは「は」とだけ言葉を漏らしてしまった。

「いつかどこかで、お会いできることがあったら教えて差し上げたいなって思ってたんです。 
 ・・・・まさか夜に早速また行ってこいってなるとは思ってませんでしたけど」と、マーガレットは苦笑い。

昨夜10数年ぶりのこの楽器との再会は確かに・・・・ジョンにはひっそりと心に迫ったものがあった。
ジョンの少し上の世代にギターを手に自由を歌うムーブメントがあって、それがジョンの亡き父親には嫌悪する理由だった。
彼にとっては青春と自由の象徴。
別に予定もなく、いつものように酒を舐めながら適当な時間を過ごすだけだったのだから、
滞在の暇つぶしにいいだろうと顎だけでソファーへと促し、了承してやった。

「それで?どんな曲かな」
「スタンド・バイ・ミーです!かなり古いですけれど、ちょっと前に映画でも使ってたし。ご存知ですよね?」
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「ああ・・・なるほど」

昨夜と違って酒は飲んでおらず、若干の緊張はしているマーガレットの、つたないギター教室が始まった。
この曲で使うコードは本当に多くはないが10年以上ぶりのジョンでは正しい音を出せる回数は少ない。
簡単にいらない弦に指が当たってしまう。
ジョンに練習を繰り返されていると、黙って見守るしかないマーガレットのほうが少し居心地悪くなって、つい四方山話。

「今回はご家族での出張じゃないんですね?前にご家族で外遊されてたの観ました」
「息子たちは長期休暇以外はスイスでね。
 ・・・・・。妻はブリッジポートの植物園で支援会だかを主宰するらしい。共に出かけるほうが少ないな、我が家は」

この、彼が妻について語る前の一瞬の間にマーガレットは気付かない。

「息子さん達は双子でらっしゃるんですよね。そうそう、そういえば奥様とは学生結婚だったとか。私と同じ歳のころに。
 今日ちょっとだけ図書館で公爵家のこと調べてしまいました」
「私の高校卒業直後の夏に先代の父親が急逝してね。あちらの家が焦って嫁がせてきたんだよ」
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「あ、なんだかすみません・・・でも、お若いときから支え合ってきたなんて素敵ですね」

ジョンはこともなげに、

「2人の息子たちは可愛いが、君の想像している世間の結婚とは異なるな」
「え?」
「私たちがまともな夫婦であるなら、出張先でエスコート嬢もどきの歌手の接待などそもそも受け入れない、という意味だよ」
「う」

確かに!
意図せず、マーガレットは自分がジョン・サウス公爵の非常に繊細な部分へと触れてしまったと分かりやすく狼狽する。
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対してジョンとしては既に昨夜からの状況で一目瞭然であろう事実を述べただけなので感情的に乱れはしない。
恐縮してオドオドしてみせる彼女は初々しく常識的で・・・彼には眩しく映った。
どこの大学のキャンパスにでも居そうな、スレていない可愛らしい女子学生。
老婆心か、それとも自分のようにはなって欲しくないという希望を託したいのか、彼は尋ねる。

「・・・君は、大学生だったね。今デートしてる相手はいるのかな?」
「いやっ、全然!今は正直歌のほうが楽しくて、大学は行ってからはデートしてません」と、マーガレットは少し赤面。
「できれば好きになれるひとを見つけて、若いうちに恋愛はしておいたほうがいい。大切なことだよ」

ギターを見下ろしたままジョンが暗い目で薄い笑顔で呟く。

父親に高校最後の夏にギターを捨てるよう命じられ、ジョンが戸惑ってる隙に使用人達は粛々と彼の宝物を処分した。
その直後、その父親が急逝して大学生の身ながら爵位を継ぎ、生前の父親の命で婚約していた女性と結婚をして・・・
周りが切望するままガムシャラに公爵として、さらには父のあとをなぞる様に議員としても動き回ってきた。
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「あ、でも婚約前は奥様とも、よくあの・・・デートとかなさってたって。王室や貴族のお宅を何十年取材してきてる記者の、本に」
「ああいう物語はロマンティックな小説だよ。みんな好きだろう?
 真実はね、私の妻は10の頃から嫁ぎ先を決められ教育を受けてきたが、実家の庭師見習いの青年に恋をしていた。
 彼女の家はそれを引き離すために私との結婚を急いでね」

出来もしないのに、ジョンはチューニングをするかのようにペグをいじる振りをして酒のグラスを傾ける。
かなりの事実を語ってはいるが、
このマーガレットも親にバレたくないという弱みがあるので漏らしはしないだろうとジョンは続ける。

「哀れな女性だよ。公爵家に求められる役割の重さを徹底的に頭に叩き込まれてきたが、彼女の心はそう上手くいかなかった。
 当然だろうな。息子達が産まれたのは結婚4年目だったが、私が彼女のベッドに乗れるようになったのは
 3年目を過ぎてからだったよ。今も男女の夫婦というよりは公爵家という職場の同僚という感覚に近いかもしれないね」
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ジョンは近年は慢性的な虚無感を内包するようになっている。
ウィリアムにアレクサンダーは、父親である自分を苦手をしているようだが自分には可愛い子供らだ。
しかし次代を継ぐ息子達ももうけた以上、あとの人生はもう消化試合なのだ。
━━━━ この、30代前半の世間で言えば男の盛りに、既に余生を送ってるかのような感覚。

そんな夫婦が、家があるんだと張本人から聞かされるなど初めてのマーガレットは、
自分のことのように悲しそうな顔をする。そしてジョンのことを心配した。

「あなたにも、本当は・・・他に好きな人がいたのですか?」
「いいや。私は幸い、小説にあるような恋なんていうものはしたことがない。婚約前にそれなりにデートはしてたがね」

「・・・・・・」
「マーガレット。君くらいの年のころというのは、今の君自身が思っている以上に大切なものだよ。素敵な恋を」
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まるで老人のように30代の彼は枯れた目で、驚くほど優しく微笑む。

「・・・・は、い」

老人のような物言いに胸が痛んだ。



→第16話





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